人工知能、感覚の遮断、沖縄(ヌヌマチガマ)

どうも、うしねずみです。

最近諸事情により、人工知能について考えています。
ロボットと人間の違いはなんだろうか。人間に出来てロボットにできないことはなんだろうか。ロボットには何が足りないから「人間と同等だ」と言えないのだろうか。そんなことを考えております。

さて、悶々と考えていても考えが煮詰まってしまうので、ネットを散策しながら考えていると、以下の記事に出くわしました。
人とロボットの秘密:最終章-3 “人=ロボット”の時代へ
このなかで次のように述べられている部分があります。

前野教授は、その著書『錯覚する脳』で、自らのアイソレーションタンクにおける感覚遮断体験について詳細に記している。アイソレーションタンクとは、人間が浮かぶ程度の比重を持った液体で満たされ、そして音や光を遮断したタンク。この中に入ることで人は、光、音、皮膚感覚などの体感覚情報を遮断し、擬似的に「体はなく、あるのは脳だけ」という状況を体験することができる。アメリカの脳科学者、ジョン・C・リリー氏が開発し、その体験がケン・ラッセル監督の映画『アルタード・ステーツ 未知への挑戦』(79年)のモデルとなったことで知られる装置である。

アイソレーションタンクってやつ、はじめて知ったのですが、これを見て沖縄のヌヌマチガマのことを思い出しました。

私は以前、太平洋戦争の沖縄戦について学ぶべく、二週間ほど沖縄に行ったことがあります。その時に現地の琉球大学に通う大学生に案内してもらって、防空壕の一つであるヌヌマチガマに行ったのです。ヌヌマチガマ(布待ち窟)は沖縄戦当時、臨時の野戦病院としても使われていたガマで、治療用の包帯が足りず、救援物資として包帯(布)が届くのを待ち続けたことからこの名前が付いています。

ヌヌマチガマの中は少しの光も届きません。そして壁や天井から水が滴っており、中はひどいぬかるみでした。懐中電灯を持って三人で入り「当時の人たちは明かりもなかったろう。電灯を消してみよう」ということで電灯を消しました。

私はただ黙って目を凝らすのですが、どれだけ目を見開いても、5cm先にあるはずの自分の手すら見えません。私以外の二人が静かな声で会話をしていましたが、二人の会話以外何も聞こえない、何も見えない、手を伸ばしても何にも触れない、そんな奇妙で不思議で不気味な空間でした。

しばらく立っていると、足の感覚もないような気がしてきて、どちらが上かもわからず、ただただ二人の声だけが聞こえて、このまま何も言葉を発しなかったら自分は消えてなくなるんじゃないかと思いました。

さて、人工知能の記事から話が飛んでしまいましたが今日はこの辺で。
もし機会があれば人工知能(知能情報処理)についてもそのうち書いてみようかと思います。

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